下呂膏の歴史
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「温故知新」の
こころを未来へ
あゆみ1
発祥
歴代奥田又右衛門より受け継ぐ
家伝貼り薬「下呂膏」
岐阜県下呂市は、日本三大名泉の一つ下呂温泉で知られる地です。
この下呂の温泉街から山奥深く分け入った地で、接骨医として施術をしていたのが、奥田又右衛門です。又右衛門は「生薬配合の貼り膏薬」を家伝薬として調合しておりました。それが「下呂膏」の始まりです。
又右衛門の名は、家伝薬とともに代々受け継がれてきました。その中で、五代目又右衛門は当代屈指の名接骨医でした。明治19年生まれ、同30年にわずか12歳で父を亡くしますが、その年までに家伝の秘術を既に会得。又右衛門の名を継承し、訪れる患者に施術しておりました。年を追うごとにその技術は極まり、やがて聞かれるようになった「神業」の声とともに、全国から絶え間なく患者が訪れたといいます。
訪れる患者は、他所で骨折などの治療を受けたものの違和感が取れず、口づてなどで又右衛門を知り、尋ね来たという人も数知れず。又右衛門の手にかかると、その違和感も1回または数回の治療で回復したといいます。昭和初期には、1日200人を超える患者が全国から訪れ、近隣の民家が順番待ちの患者のために民宿となりました。その数7軒という記録が残っています。
あゆみ2
伝承の志
要望に応え、
市販薬として世に出し今日まで。
門外不出の家伝の伝統薬が市販薬となったのは昭和9年。
多くの患者から「売り分けてほしい」と懇願されてのことでした。
現在の前身となる「六合社」を設立し「東上田膏」として認可を取り、初めて販売致しました。以来、戦中・戦後の様々な紆余曲折を経る中で、品質向上を目した製造と販売は続けられ、存在感を高めてまいりました。
そして昭和47年、7代目は「奥田又右衛門」の名を後世に残すため,株式法人として「奥田又右衛門膏本舗」を設立。製造認可も奥田家の名を冠した「奥田家下呂膏」として取得、現在に至っております。
あゆみ3
自己治癒の助けを
これからも
下呂膏の効能を骨格に、
時代に合わせた商品開発
下呂膏は、黄柏、楊梅皮(ヨウバイヒ)を主成分に作られています。貼り膏薬の中では比較的黄柏の含有量が高く黄色がかっているのが特徴です。現在では、この原料・製法を基本とし商品展開をしております。
展開の一つ、「白の下呂膏」は、原料由来により肌に貼り跡が残る点を改良するため約50年前に生まれました。主成分、適応症は同じで、製法をいくらか変えております。また「緑の下呂膏」は、クマザサ・薄荷を配合し清涼感が肌に伝わるものです。
「癒し」「快適」へのニーズも高まる中、伝統薬を現代風にアレンジしたボディケア品・スキンケア品もご愛顧いただいております。
この先も、伝統薬・家庭薬によるセルフメディケーション、そして心身のリフレッシュ・リラクゼーションにも目を向けながら、お客様のニーズにお応えしてまいります。